時が経つほど、大地に根付いていくような石造彫刻。そんなものを目指しています。たとえば、手ノミのお地蔵さまや仏塔
自然の玉石などに、直接彫刻しても穏やかです。作られたものより、ただ愛情を込めてつくりたくて。みなさん本当は、そんなものを探しているんじゃないかと思った。
ぼくには日本全国に、つくり手さんの仲間や石工魂を持った連中がたくさん周りに居ます。連中は、みんなに あつく語るんです。「石をさわってやってください。」「叩いた石を見てやってください。」
「石本来の美しさが出るんです!叩きには。」「お墓本来の姿は、素朴で大らかなんです。」「石を斜めから透かして、見てやってください。」「お骨入れ場ではない!魂が宿る場所だ!」「日本の神さまって、誰ですか?」「お祭りの本来の意味は、なんだと思いますか?」
亡くなった人が居るから、お墓を造るんですが、あなたがお墓に入ったときを考えてください。「子供がお墓参りに来てくれたら、うれしくて 嬉しくて、飛び上がるくらい嬉しくて、その子を幸せにしたいって思うでしょ。お墓はお参りする人と幸せの交換する場所で、そして永遠に見守ってやれることの出来る場所。」お墓には、あなたの魂もいずれ宿るんですから。
たとえば、右の宝塔のお墓の台石(基壇)には三面に レンゲ彫刻がされています。右面には、今から咲こうとする ツボミの蓮華。正面には、咲ききった 開花蓮。左面には散りゆく散り蓮華。若い頃は、散り行く蓮華を彫刻していたのかが、悲しく思えた。でもこれは、人の生涯を彫刻したものであり、「散ってもまた生まれ変わってくるんだよ。」って意味を知って、嬉しかった。そして尊く思えた。
東日本大震災のとき、なんども被災地に行った。震災当初は、みんな肩まで力が入って力いっぱい手を合わせていた。そして少し時が経って、ちょっとずつだけど力まず「ふわっ」と手を合わせている姿を見た。
いま社会は、思想までが大きく変貌しようとしている。生活の便利さや合理性も大事だけど、こころの豊かさが そこには無い気がする。人が望んでるのは、「幸せ」だと思う。幸せのなかには、豊かさのエッセンスが沢山入っているから。
一昔のものを見て、なんだか安心する時がある。現代のような直線的な綺麗さな無いけど、穏やかで素朴でそして大らかで。「信じる力」がいっぱいあって。そこには、愛しき美しさがあって。そんな大切な文化を、子供たちに遺したくて手加工もやってます。
時代は大きく変わるかも知れない。でもね。夢なんです。信じる力を持って手を合わせたくなるものをつくろうって。