寺院などに行くと、古い石造物を見て、
気持ちが安らいだりしたことはありませんか?
それらは、石塔や仏塔・石仏と呼ばれています。
とても小さいものもあるし、形も不揃い。
現在のお墓のように、
ピカピカに磨かれてもいません。
だけど何故だか、
自然と手を合わせたくなります。
それらを見て、いつも思うんです。
「ただ信じていたんだ」と。
その想いがとても愛しくて、体中に入ってきます。
当時の方々(遺族・石工・坊さま)は、
みんな来世での幸せ(ご冥福)を祈り、お墓を造られたんだと思います。
古の石工たちは現代と違い短命なので、一つの石塔(仏塔)を造るのに生まれ、
一生涯をかけた石工も多かったと思います。
石工暦30年。私は、まだたったそれだけの存在です。
石屋の町工場で育ち、志ある仲間たちとともに、いつもお客さまに教えられます。
私たち墓石を扱う者たちは、見たくれだけのデザイン
(単なる格好(綺麗・豪華)だけのモニュメント)ではなく、
「手を合わせる存在としての美しさを持ったお墓」を造らないといけません。
お墓には、追悼(生前を想い偲ぶ)だけでなく、供養(死者救済や来世での幸せ、
子孫の幸せ)の意味と幸せへの思想があるのですから。
ずっと遠い先、
お客さま(施主)のご子孫にとっても、
穏やかで大切な場所となるように
お手伝い出来れば幸いです。
ひとりの石工として、そのようなお墓を、
お客さまと一緒につくりたいと想っています。
合掌。
北條 保